知育玩具における構成玩具の位置づけは、たとえばパズルと対照させることができる:
なんであれ自分の<好き>なモノを作ろうと思ったら、そこでは自身を律するルールを必要とする……なんの価値観もなく/なんの美意識もないまま、なにが<好き>かを自身に問うことなどできないからだ。それがゼロから作るものだったら、なおさらだ。
心の中にひとつの内的なルールが生まれれば、それは外にあるルール(社会のルール/自然のルール)と突き合され、比較される。そのときたがいのルールに差があれば、それが<問題>として意識される。<問題>はそれを解消すべきものとして、心理的な圧力にさらされる……これは<解くべき問題を作り出す>サイクルそのものだ(=独自の価値観や美意識が、問題意識を生む)。
自由に組み立てることのできる玩具は、そのサイクルを模倣するための、初めての道具となる(もちろん玩具だけではなにも生まれない。大切なことは<自分はなにが好きか/嫌いか>を意識する行為であり、それが<自身を律するルール>を探る旅の始まりとなるからだ)。