創造する玩具


primitive forms in the mind

創造する玩具 〜 ヒトの心にある原型 〜

創造する玩具 〜 ヒトの心にある原型 〜

2009.03.26

ここで取り上げる玩具をひとことでいうなら、原型、となる。

たとえばクルマの玩具なら、スケール・モデルをふくまない。個別の車種の特徴を削ぎ落とし、共通の外観のみを取り出したもの――クルマの<概念>をそのままカタチにしたようなおもちゃ――をあつかう(※1)。

たとえば人形なら、キャラクタものをふくまない。固有のキャラクタは固有の物語を背負っているけれど、遊び手が織りなそうとする物語に、それが余分な情報をつけ加えてしまうかもしれないから(※1)。

いずれにしても原型は、それを構成するルール/パターンの数が極端にすくない――つまり単純。だからこそモノのかたちやしくみ/あるいは法則や物語の構造をはっきりと認識できる……それは、ミニチュア玩具や推理小説で細部を追求しようとする態度とはまったく逆の、源流を辿ることを楽しむ行為だと思う。

とはいえこの行為はまた、節制を知らない。カタチならそのカタチの理想形をどこまでも追求しようとする。極限まで抽象化されたクルマをさらに分解するならクルマでなくなってしまうかもしれないけれど、それでもかまわない。このとき興味の対象は、クルマという個別のモノではなく、モノ全般――あらゆるモノ――が備える原型、に移っている。

ブロック玩具は、あらゆるモノの原型を追求する(それぞれの形態や機能を分解し/ふたたび構成するための、最小の共通構造を追い求める)。それは物理よりは数学に近い(最小パーツがなにかを決めるのは、現実のモデルになり得るかどうかではなく、ただ想像力のみによっている)……だからパーツの種類は無限にある。ブロック玩具のパターンもまた、無限にある。

これらの玩具はどれも、あるヒトの心に生まれた原型を外界に取り出したものといえる。そしてそれらの玩具は、べつのヒトが次に創造するときの原典/素材/道具となる。このサイクルが繰り返されるかぎり、(リソースは無尽蔵にあるのだから)<創造する玩具>の系譜は続く……だからそれを楽しむ旅も終わることがない。

※1
とはいえスケール・モデルやキャラクタものはべつの面で面白い。たとえば建設機械のミニチュアモデルに関心があるなら、このサイト