創造する玩具


primitive forms in the mind

色をパーツに分解する 〜 ヒトの奇妙な色彩感覚 〜

解説

2008.09.05

色のパーツ(=表色系)は、3原色をベースにしている(※1)。

ただしこの<3>という数字に、物理的な意味はない。色の違いは光(電磁波)の周波数で決まるが、その周波数群をあえて3つ(というか2つであろうと4つであろうと)に分けるような基準など、自然界にはないからだ。

3原色は、いまのヒトの特性に依っている(ヒト以外の生物/機械には役立たないし、未来のヒトには合わないかもしれない)……人間は、光の周波数については3つのパターンに反応する器官しか持たない(L/M/Sの3つの錐体細胞)。それらの器官の感受ピークがそれぞれ長中短の帯域内(560nm / 530nm / 420nm あたり)にあり、それらで感じられる色の原色を、赤/緑/青と名づけただけのことだ(※2)。

しかもこの3原色には奇妙な制約がある。自然界では、ことなる周波数の波を合わせても、それらの波はたがいに独立し区別できる。でもヒトの3原色では、単色光(ひとつの周波数からなる光)の混合が、べつの単色にみえる!(たとえば赤と緑を合わせると黄になるが、これはM/Sの2つの錐体細胞が刺激されたことに対して、ヒトの認知システムがそのように演出したものだ……こういった特性があるので、<赤と緑の混食光>と<黄の単色光>はまったく違う波なのに、ヒトはそれらを区別できない)(※4)(※5)。

ヒトの祖先はもともと4原色の生物だったが、その後(暗闇の中で生きるようになったので?)2原色に減り、さらにその後(樹上で生活するようになったので?)3原色に増えた、という説もある。いずれにしてもヒトの進化の果てに、獲得する原色の数が増減すれば、いまの表色系は使えなくなってしまう(あるいは錐体細胞の感受パターンがズレるだけでも、色相の構成が変わってしまう)。3原色は人の文化に深く根づいているが、それが将来に渡って安泰かというと、ちょっと微妙なのかしれない。

※1
CIE(国際照明委員会)によるXYZ表色系(※3)を基礎に、加法の混色系(たとえば赤/緑/青を基準とするRGB系)、減法の混色系(たとえば青緑=シアン/赤紫=マゼンタ/黄を基準とするCMY系)、顕色系(たとえば、XYZ系を心理的に均等な色配分としたl*a*b*系、色相/彩度/明度を基準とするHSV/HSB系、マンセル系、オストワルト系)、などがある。とくに混色系はその特性上システマチックで、加法の純色と減法の純色は、それぞれの補色の関係にある。
※2
これら錐体細胞の感受ピーク値と、原色の周波数は一致しない(たとえばCIEによるRGBの基準は、赤=700.0nm 、緑=546.1nm 、青=435.8nm )。これは、それぞれの錐体細胞の吸収スペクトル量の推移が、感受ピーク値の周波数を原色としたときの理想的な曲線を描いていないことによる。
※3
RGBを仮想的な原色(原刺激)としてのXYZに修正し、ヒトが認知するすべての色を表現する。人間が見ることのできる色には、どのように単色を選び混ぜても作りだせないものがあるため、このような仮想的な原色を設定している。
※4
これは逆にいえば、ヒトが単色として認知するものすべてが、かならずしも単色光として存在するとはかぎらない、ということでもある。じっさい赤と青の混色は赤紫(マゼンタ)という単色にみえるが、そのような色はひとつの光の周波数で表すことはできない。
※5
これは、物体(の表面)をみるときに、波の重ね合わせを認知しても利便性がないか/不具合があるから、そういった方向に進化しなかったのかもしれない。もしも音を聴くように光を見ることができれば(それぞれの錐体細胞が得た刺激を、波の重ね合わせとして認知できれば)、よい和音を聴いたときのような感覚を、視覚からも得られるかもしれない。ただそのときは、より可視範囲が広がり(いまのヒトの可視光線は1オクターブとちょっとしかない)、より周波数の分割能を高く(より多原色化)しないと意味がないのだけれど。